パラリンピックの歴史(第1部)

―「リハビリ」から「世界最高峰のスポーツ」へ―

パラリンピックは、最初から巨大な国際スポーツ大会だったわけではありません。

始まりは、第二次世界大戦で負傷した人たちのリハビリテーションでした。

そこから、

リハビリのための運動 → 楽しむスポーツ → 競技スポーツ → 世界最高峰の舞台

へと、大きく姿を変えていきます。

今回は、その歴史を3つに分けて詳しく見ていきます。


第1部

パラリンピックの原点

―1940年代、「スポーツは治療になる」から始まった―

第二次世界大戦が生んだ大きな課題

第二次世界大戦では、多くの兵士が脊髄を損傷するなど、大きな身体的な障害を負いました。

当時、脊髄損傷は非常に深刻で、長期間ベッドで過ごすことも少なくありませんでした。

そこで1944年、イギリス政府の要請を受けて、ルートヴィヒ・グットマン博士がロンドン郊外のストーク・マンデビル病院に脊髄損傷センターを設立します。

ここから、パラリンピックの歴史が大きく動き始めます。


グットマン博士が目をつけた「スポーツ」

グットマン博士は、患者をただベッドに寝かせて治療するだけではなく、スポーツをリハビリに取り入れました。

体を動かす。

仲間と競う。

目標を持つ。

記録に挑戦する。

こうした経験が、身体の回復だけでなく、精神的な自信や社会復帰にもつながっていきました。

ここが非常に重要です。

最初から、

「障害者のためのオリンピックを作ろう」

と考えていたわけではありません。

「スポーツには、人をもう一度社会へ向かわせる力がある」

というところから始まったのです。


1948年7月29日

そして、歴史的な日がやってきます。

1948年7月29日。

ロンドン・オリンピックの開会式が行われた、その同じ日に、ストーク・マンデビル病院で競技大会が開催されました。

これがストーク・マンデビル競技大会です。

参加したのは、脊髄損傷を負った16人の軍人・軍属。

競技はアーチェリーでした。

わずか16人。

今のパラリンピックを考えると、本当に小さな大会です。

しかし、この小さな大会が、後のパラリンピックにつながります。


1952年、国際大会になる

1952年にはオランダから元軍人が参加。

イギリス国内の大会だったものが、国境を越えていきます。

こうして国際ストーク・マンデビル競技大会へと発展していきました。

つまり、

「リハビリのためのスポーツ」が「国際的な競技」になっていった。

これがパラリンピックの第一段階です。

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JACKMAN

JAPAN BOCCIA CLUB 代表

「たのしそー」から「たのしむへ」それが、最初でした。
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